「空気を読んではいけない」の青木真也にみる、三島由紀夫の肉体感覚との共通性

先日、友人から紹介されて青木真也さんの「空気を読んではいけない」を読みました。その結果、僕の大好きな作家である「三島由紀夫」に通じる共通点を見いだしたのです。何度読み返しても、青木真也さんは「すごい」という感情がわき上がったのでご紹介します。

青木真也の「空気を読んではいけない」

青木真也さんは、総合格闘家であり、フリーランスとして活躍しています。自分のことを「肉体労働者」と表現しています。PRIDEなどの総合格闘技が日本で盛り上がっていたときに総合格闘技の選手としてデビューを果たし、その中でブームが終焉するという“バブルの崩壊”を経験した選手でもある。

「空気を読んではいけない」は、青木真也さんの小学生の頃から現在に至るまでの経験と人生観をいくつかの段階を経て説明されており、特徴的なのが「肉体感覚」と「集中力」だと私は感じました。

「上下関係や伝統といった明文化されていないような掟を理由に、無条件で屈服を強要してくる相手に対して、いつでも刺し違える覚悟でいる。勝つならば負ける覚悟。折るならば折られる覚悟。(中略)殺す気迫とともに、殺される恐怖を持て。1)」

青木真也さんのこの発言は、一見すると「おごり」のような印象をうけますが、極めて謙虚な発言です。大口をたたくからには、それだけの批判を受け止めるだけの器を持たなければならないという裏返しでもあるから。

特に試合直前になると、相手を倒すという気持ちとともに、「殺されるかもしれない」という恐怖を持ち半分半分の気持ちでリングに上がるといいます。それは、見城徹さんの「憂鬱じゃなければ仕事じゃない」にも通じる、精神感でもあります。

「僕みたいな才能に恵まれていない人間が一流を目指すのであれば、生活から贅肉をそぎ落として、極力シンプルにするしかない。何が要らないかをハッキリさせるしかない。2)」

青木真也さんは、PRIDEの崩壊を機に、自分がいつでも「食べられない状況がやってくる可能性がある」ということを知りました。それから、プロの格闘家として生きていくためにはどうしていけば良いのかを考えたといいます。その結果、総合格闘技だけではなく、プロレスもおこなうようになりました。それはあくまでも、目の前にいる「観客」のためであり、あくまでも自分は「肉体労働者」だから。

観客を喜ばせるためには、自分の身体を鍛え上げ、常に新しい技を習得し、勝ち続けなければいけません。そのためには、女も酒もギャンブルもしない。あくまでも、青木真也さんの「精神」は青木真也さんの「肉体」を通じて表現され証明されるから。

 

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三島由紀夫の肉体感覚

三島由紀夫は昭和を代表する純文学作家です。代表作に「仮面の告白」、「金閣寺」、「春の雪」などがあります。昭和45年11月25日に、自衛隊市ヶ谷駐屯地に乗り込み割腹自殺でなくなっています。

三島由紀夫は仮面の告白の中で、精神がもっとも尊く人間的で、肉体こそ忌み嫌うべきものとして述べています。三島由紀夫は幼少期から病弱で、戦争にも「肺浸潤」と診断され、戦争に行くことが出来ず、戦死を覚悟していた中での死ぬ場所を失った絶望を経験した。このような経験からも、三島はボディビルダーを行うなど肉体を鍛え上げ、精神に肉体がおいつくよう鍛え上げていきました。

その結果、「若きサムライのための精神講話」のなかで、「精神といふものは、あると思へばあり、ないと思へばないやうなもので、誰も現物を見た人はゐない。その存在証明は、あくまで、見えるもの(たとへば肉体)を通じて、成就されるのであるから、見えるものを軽視して、精神を発揚するといふ方法は妥当ではない。行為は見える。行為を担ふものは肉体である。従つて、精神の存在証明のためには、行為が要り、行為のためには肉体が要る。かるがゆゑに、肉体を鍛へなければならない、といふのが、私の基本的考へである。」という結論に至りました。

様々な文章表現を通じて「精神」を表現しようと試行錯誤を繰り返してきた結果、「自分の肉体で表現すること」が「自分の精神を表現すること」に近いという結論に至ったというわけです。その結果、最後は市ヶ谷駐屯地で割腹自殺をおこない、自分の肉体を一番の高みである精神に昇華させました。

青木真也さんの肉体感覚との共通性

青木真也さんは「観客を魅了するため」に常にトレーニングを通じて、新しい技を習得し、自己の肉体を鍛え上げています。そして、試合後は、意識が飛ぶくらいの感情が解き放たれるといいます。最近では、コントロールが出来るようになってきたとはいいますが。

その中で、「いつかは試合後に何の感情も生まれないときがくるはずだ。それが40歳なのか、50歳なのかはわからない。その時が僕の格闘技をやめる瞬間なのだとは思っている。3)」と述べています。

三島由紀夫は文学を通じて、精神というものを描き続け、そして最終的に肉体でのみしか精神は表現され無いということに気がつき、割腹自殺を通じて、もっとも尊く人間的な「精神」へと自分自身を昇華させました。

僕は、青木真也さんが試合後に「なにも感じない無の状態」になるときがきたのだとしたら、それは青木真也さんの肉体がもっとも尊く人間的な「精神」へと昇華した瞬間であり、それは「肉体労働者」である青木真也の「死」なんだと思います。

青木真也さんの「空気を読んではいけない」という本を繰り返し読むにつれて、三島由紀夫の肉体や精神感と合致する点が多いと感じました。三島由紀夫が好きな方は、是非読んでみてください。

空気を読んではいけない
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引用文献
1) 青木真也:空気を読んではいけない 電子版,幻冬舎,no.345,2016.
2) 青木真也:空気を読んではいけない 電子版,幻冬舎,no.587,2016.
3) 青木真也:空気を読んではいけない 電子版,幻冬舎,no.1207,2016.

ABOUTこの記事をかいた人

救命センターの看護師。英国型のナーシングホームをやりたい。アロマなどを用いて西洋医学一辺倒ではないケアを提供することが目標。学園祭で講演会を1人で企画運営し成功させた。アトピー性皮膚炎の患者指導も研究している。